坪井秀人「KNOW THYSELF」

吾輩は猫である』を通じて近代個人と共同体の関係を論じたもの。
個人の識別は犯罪対策と犯罪者の管理という領域で必要であった。それ故戸籍をはじめ、文書的な身元証明を視覚的に保障する指紋や人体測定・写真といった技術が要請された。一方でこのような監視体制を個人は抑圧と感じ、敵対感情が生まれた。
吾輩は猫である』の猫は人間を観察をする。その視線には観相学があらわれている。
「人種や性の標準形を逸脱するのは違反であり、違反は美に反する醜を意味する(そして非難される)。美醜に関わる<偏見>の規則によるこのような囲い込みは、感想学的言説が寄与してきた人種間の優劣関係の固定化の系譜の上に位置するものである。」p41
そうした観察・読心術などは”KNOW THYSELF”として、自己認識や自助、事故修練のためであった。しかし乱作されたこれらのハウツー本は、「他者を観察し他者の心を読む(近代都市生活者を主体とする)技術と視線とが、事故回帰を見失って一方通行性に偏向してい」ったとしている。