佐藤(佐久間)りか「近代的視線と身体の発見」

近代日本の身体感覚を、写真というメディアと錦絵というメディアを扱いながら、その変遷をおったもの。特にプロポーションという考え方が入ったことを明らかにしているといえよう。それは写真がある意味、そばかすなども生のままに再構成してしまうからであった。それは自分を客観的に観させられる経験だった。
大久保一路によると日本の女性は比率が悪いために不恰好に見えるという。「この点(プロポーションのこと=筆者註)で日本の女と西洋の女とを比べてみると、何れが醜で何れが美であるかがすぐに解るのです。」(「淑女画報」大正2年1913) と。醜とまでその身体をいうのに、明らかに西欧賛美が見て取れる。それは体躯、つまり肉体的稼動性だけではなく、プロポーションという考え方も含まれていた。
身体を観る上で、何が問題となるのか、に、私の中ではプロポーションという言葉を忘れていた。