トム・ガニング「幽霊のイメージと近代的顕現現象」

『アンチ・スペクタクル』
 幽霊写真と不気味なもの(フロイト)をもとに、
写真の存在論について述べた論。だと思う。
(しかしいまいちわかっていない)
 写真は実証主義にとっての物質的裏付け、
記録としてはたらいた一方で、
分身という同一性を切り崩す非物質化の力を持っていた。
 そしてイメージでありながら写真は
複製可能であるという特性をもっていた。
 幽霊写真としては、過去の想起を誘うもの、
認識した証拠として生死の間をさまようシンボルとして存在した。
 しかし幽霊には実体はないという部分が
その不気味さを支えていたとする。

 おおまかなアメリカにおける幽霊写真の展開は、
以下の4段階かと考えられる。
1:写真的幻影を「哲学的玩具」として
娯楽としてとらえてた段階
(cf;1856年のD・ブルースター卿は迷信や奇跡を科学的解明)

2:スピリチュアル第2世代(南北戦争を期に聴覚から
視覚的なものへと変更した)と一緒に、わからない、
なにかの啓示(冷媒の役割を引き受ける)という形と、
技術と科学の融合として用いられる。
(芝居がかっている)

3:降霊会最中の「全身物証化」を科学的に、
忠実にうつすものとしての心霊写真。
 一方でマジックショーとともに
視覚的な現像劇場へのスピリチュアルの変化。

4:目に見えない霊を記録したものだけではなく、
霊の言説を伝える手段としての心霊写真。
「心霊のイメージのかわりに心霊写真が、
霊的な力の存在を告知すべくイメージを増殖させ、
流通させる共同作業、もしくはほとんど産業として
理解されるようになった」
哀悼手段としての心霊写真。

 としている感じ。
 男女とスピリチュアルの関係、特にカメラ(機械)を
男性のものとし、スピリチュアルの交代が
なされるという指摘は興味深い。
(あまり論じきれているとは思えないが)