「下流志向」内田樹
もはや学習や働く事は自明の前提ではない。
教育機関や政府がこの前提に対する「答え」をも持っておらず、
棚上げしたまま、政策を進める事自体が破綻の原因の一つである。
また今まで学習や働く事といった前提に対し、
「何故、せねばならないのか(しちゃいけないのか)?」
という問いは、等価価値交換的であるとする。
問いへのメリットとなる答えが得られた時、
「子供たち」は活動をするor活動しない。
一方で明確な答えが得られない場合は、
全力でその価値を否定する。
しかしその価値を否定する行為自体が、
これまでの価値の前提に立っているということがまた、
破綻の問題である。
全体としてはわかる。
だが、違和感を感じる事もある。
例えば「何故人を殺してはいけないのか」への
内田氏の返答は本質を得ていない。
内田氏はこの質問に殺される視点の欠如を述べる。
だが、用意に自殺する「子供たち」には、
同時に「何故自殺してはいけないのか」という、
自分に殺されることは考慮済みなのではないだろうか。
いや、そもそものところで、まさに内田氏が述べる
全力での無視なのではないのか。
全力での無視についても、情報量の問題を
比較してみた方が良いのかもしれない。
↑きっと検討ハズレな意見。