機械=身体のポリティーク 青弓社

パリ大学で2006年6月に行われたワークショップ「加工/仮構される身体」からの報告を中心にあまれたもの。
大正の文学、昭和初期の文学、滝口修造や是枝静男、成瀬巳喜男石原慎太郎大島渚プルートゥ押井守と時代順に並んだ構成とバラエティ豊かな内容。とはいえ基本はどうやら文学研究。
興味ぶかかったのは第1・2章。特に2章。
1章は話は面白いのだが、そもそも何故その作品を選んだのかの選定基準がわからなかった。この分量では書き切れなかったのか、それとも…という感じ。乱歩文学から、戦場との感覚を一にするパノラマの知覚があらわれるという指摘は面白い。だが何故その身体はばらばらにならなくてはいけなかったのか?玉砕として、国民の身体が破損されることで意識され、統合されていくのだとは思うが…視覚の関係とかは曖昧だったように思う。
あと、個人的には宮沢賢治の作品を扱うのはかなり危険だと思うのだが。

第2章は、単純に優生学と女性性の関係を忘れていた!という当たり前な驚きより。

 ところでこの本のタイトルには「機械」が入っているのだけど、それよりも原題の「加工」の方が通じていると思われた次第デス。